日本教育史研究が一つのディシプリンとして確立を見るようになるのは昭和初期のことといわれる。その当時の学問的関心は、日本近代化の土台をなした江戸時代の教育的遺産をどう評価するかに向けられていた。その意味で日本教育史研究は江戸への学問的関心とともに開始されたといっても過言ではない。石川謙の『日本庶民教育史』と乙竹岩造の『日本庶民教育史』は、そうした研究を代表する著作である。
日本近代化の基盤を江戸に探ろうとする姿勢は、R.P.ドーア『江戸時代の教育』やH.パッシン『日本近代化と教育』にも鮮明に表れている。両著は、ともすれば非連続と理解されがちであった日本近世と近代の教育を連続的関係において捉え直し、むしろ近世教育こそが日本社会の近代化を準備したとすることで、従来までの教育史観の転換を迫ることなり、この分野の研究に大きな衝撃を与えた。ただし、この「日本近代化論」的関心は上述のようにすでに石川謙の研究において自覚化されていた。石川の『近世教育における近代化傾向』『学校の発達』『庭訓往來についての研究』などは、学校史や教科書史・学習方法史の関心から近世教育の近代化傾向を論じたものである。
その後1970年代における民衆史の盛行、80年代の社会史的関心からの教育史研究への問題提起などが近世教育史研究に少なからぬ影響を与えた。前者については高橋敏『日本民衆教育史研究』が、後者については「産育と教育の社会史」編集委員会編『叢書・産育と教育の社会史』(全5巻)がある。
近年では、上述の日本近代化論の立場、すなわち近世教育は近代社会をいかに準備したかという関心からなる視線を逆転させ、近世の視線から近・現代の教育を批判的に捉え直すことの必要が自覚化されるようになってきた。そうした視点に基づく研究としては、辻本雅史『近世教育思想史の研究』、同『「学び」の復権』、沖田行司『日本人をつくった教育』、辻本雅史・沖田行司編『教育社会史』新体系日本史16、山川出版社、2002年、などがある。
最後に史資料について簡単に触れておく。近世教育史研究は長らく『日本教育史資料』に依拠してきた。これは明治十年代後半の教育行政的課題を背景に、散逸・消滅しつつあった旧幕府時代ならびに維新期の教育情況を示す膨大な史料を蒐集・整理したものある。だが、同資料が伝統社会の多様な教育施設を近代的教育機関の諸概念に引きつけて強引に整理するという問題を孕むものであったことは、日本教育史資料研究会『「日本教育史資料」の研究』が指摘する通りである。近年では、府県教育史等の編纂・刊行が活発に行われ、多くの在地史料の発掘・調査が進められてきている。また、衣笠安喜編著『京都府の教育史』など、思文閣による都道府県教育史シリーズの刊行も継続されている。この他、寺崎昌男・久木幸男監修『日本教育史基本文献・史料叢書』、石川松太郎監修『往来物大系』全100巻、『人づくり風土記』などの、多彩な資料集の刊行は多様な近世教育史像再構築のために有用である。
なお、学会誌として『日本の教育史学』(教育史学会)、『日本教育史研究』(日本教育史研究会)、『地方教育史研究』(全国地方教育史学会)などにも注意を傾けていただきたい。
石川謙『日本庶民教育史』刀江書院、1929年(1972年復刻版、玉川大学出版部)。
石川謙『庭訓往來についての研究』金子書房、1950年。
石川謙『学校の発達』岩崎書店、1951年。
石川謙『近世教育における近代化傾向』講談社、1966年。
石川松太郎監修『往来物大系』全100巻、大空社、1994年。
沖田行司『日本人をつくった教育』大巧社、2000年。
乙竹岩造『日本庶民教育史』全三巻、目黒書店、1929年。
衣笠安喜編著『京都府の教育史』思文閣、1983年。
「産育と教育の社会史」編集委員会編『叢書・産育と教育の社会史』全5巻、新評論、1983——85年。
高橋敏『日本民衆教育史研究』未来社、1978年。
高橋敏『家族と子供の江戸時代―躾と消費からみる―』朝日新聞社、1997年。
辻本雅史『近世教育思想史の研究』思文閣、1990年。
辻本雅史『「学び」の復権』角川書店、1999年。
辻本雅史・沖田行司編『教育社会史』新体系日本史16、山川出版社、2002年。
寺崎昌男・久木幸男監修『日本教育史基本文献・史料叢書』大空社、1991——98年。
R.P. ドーア/松居弘道訳『江戸時代の教育』岩波書店、1970年。
『日本教育史資料』文部省総務局、1890--1892年(1903--1904年再版、冨山房。1984年複刻再版、鳳出版)
日本教育史資料研究会編『「日本教育史資料」の研究』日本教育史資料研究会、1981年(同藩校編、玉川大学出版部、1986--1993年)。
H.パッシン/國弘正雄訳『日本近代化と教育』サイマル出版会、1969年。
『人づくり風土記』農山漁村文化協会、1988--2000年。
责任编辑:玲儿